荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

(第11回作品) 交合する声の果て  桐岡(きりおか)は歩いて行った。どこまでも歩けそうな気がした。それでいて、すぐ先で引き返すかもしれなかった。休むことも歩くことの一部だった。逆に、歩くことも休むことの一部だった。百歳を越えても、もしかすると、百十歳を越えても同じように歩くだろう。いつも何の根拠もなくそう思った。 左手に建つ家の庭に置かれた椅子(いす)に、男が一人腰を下ろしていた。当然だが、似た情景は、長い歳月の中、数限りなく眼にしていた。四十代ほどに見えた。桐岡に眼を注(そそ)いでいた。「年相応に歩き疲れたのかなと思ったが、そうでもないな。どこまでも歩いて行ってしまいそうに見える・・・」男の声が届いた。どこか別の所で発せられた音声が流れてきたようにも聞こえた。それにもかかわらず、男の眼は桐岡から離れなかった。「このまま、どこまでも歩いて行くと、引き返せなくなってしまうかな・・・」男の眼のもう一つ向こうへ届かすふうに桐岡は声を返した。「引き返せなくなったら、そこからどこへ行く・・・」男の声は、独り言めいている風(ふう)ではなかった。ひんやりしているのでもないが、取り立てて、桐岡を気遣(きづか)っているという感でもなかった。「後(あと)何十年やり続けたら、今言葉を交わしている高齢の人と同じような感じに達するか・・・そこまで俺の軀(からだ)は持つかどうか・・・」男の声は、どこへなのか、桐岡を越えたもう一つ向こうに言葉を投げているふうな、少しずつ自失という感を伴っていた。にもかかわらず、声自体はくっ…

続きを読む

荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

(第10回作品)  茶色と灰色の家  桐岡(きりおか)はまた歩いて行った。これというほどの疲れはなかった。いつもと同じようにも、心なし違うように思うのも、いつものことだった。どっちの思いにも相応に味わいがあった。「よく遊んだ・・・そう顔に書いてある・・・」すれ違った、八十代の桐岡ほどではないが相当高齢に見える男が、桐岡と束(つか)の間(ま)視線を合わせてそう言うと、立ち止まるでもなく去っていった。初めて見るようにも、どこかで一度は会ったことのある男のようにも思えた。  今日はまだこれから、二、三人と遊びそうな気がした。現にどうなるかはともかく、歩いている最中は尚(なお)のこと、そう思うのはいつものことだった。風が少し強まり、やや寒くなった。外より、家の中で交合するのに適しているな、と思いながら桐岡はさっきまでとは別の道を歩いて行った。 右手に茶色と灰色がほぼ同じ程合いの家が建っていた。一階のガラス窓の向こうに男が立っていた。眼が合う少し前から、桐岡を見ていたようだった。顔がもうひとつ分かりにくかったものの、眼が合っても男の表情は動かなかった。窓が開いた。「風が出て、冷えてきた。無理するな、入って休んでいけ・・・」男は表情を変えることはなかったが、風に吹き流されないように声を桐岡に届けた。桐岡は改めて立ち止まり、男の顔を真っすぐ眼に止めた。見覚えがあるとは思わなかったが、ふっと引き止め引き入れる深さが伝わってくる顔立ちだった。五十代くらいに見えた。「入口は空いている」男はそう言い窓際から離れた。庭…

続きを読む

荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

(第9回作品) 男は言葉を残して去った   桐岡(きりおか)は歩いて行った。まだ帰らなくてもよかった。これからどうするかを選べる時間があるのは、いつであれいいことだった。斜め右手に入る道を歩いた。細めの道だった。腰を下ろせる、大きめの木の台がいくつか置かれていた。様々な樹木が何本か集まっていた。「まだやりたいのか・・・」台に腰を下ろしていた男が、独り言めいて、言葉を投げた。高齢だが、八十代の桐岡より、一回り、二回り若く見えた。どちらかといえば小柄だった。「今日は何人と遊んだのかな・・・」と、桐岡は返した。「一人だけさ、昼前に・・・」男は短く言った。「それならまだ三、四人はやれるね・・・」桐岡は男に二、三歩近づいて言った。「一人で充分だ。おまえなら三、四人分になりそうだ・・・」そう言うと、男は座ったまま両足をぐいと開いた。桐岡は真っ直ぐ男の腰のあたりに近づき、男のズボンの前を開くと、のけ反りかけている男根を深々と口中に収めた。「俺の言うことなら何でもする、と一目で分かった・・・。もしかすると、昔、会ったことがあるか・・・」「会ったような気もする、初めてのような気もする・・・」男根を更にじわじわ喉元(のどもと)へ届かせながら、言葉の輪郭は蕩(とろ)けていたものの、桐岡は言った。「上も下も全部脱がせろ・・・おまえもそうしろ・・・」と男は付け加えた。何百、何千の男たちと交合を繰り返し、似たり寄ったりの言葉に、飽きることなく、相手によるそのつどの細やかな差異も加わり、桐岡はそのたびに煽(あお)られた。 桐…

続きを読む