左一段目、二段目の写真の裏には、ともに「松葉神社 38.6.16」と記されている。昭和38《1963》年6月16日、松葉神社の祭りを撮ったとわかる。
円谷は昭和46《1971》年10月に54才で亡くなった。逆算すると、生年は大正5《1916》年か同6《1917》年になる。昭和38年の時点では、46才か47才だ。亡くなる8年前になる。
(ちなみに、記された38を西暦だと考え1938年だとすると、戦時中の昭和13年に当たり、円谷が21、2歳の頃だが、この時期に撮ったというのはまず考えられないだろう)
左一段目前面の若者の、若々しく伸びやかな四肢と顔つきに私(荻崎)は好感を覚える。
さて、上記の「松葉神社」とはどこにあるのか、インターネットであれこれ検索したものの、腑に落ちなかった。
幸い、同じ祭りを撮った右手上段の写真をよく見ると、右上に「矢先稲荷神社」の文字が読めた。(画像では文字がよくわからず、恐縮です)
私の知らない神社だったが、検索したところ、東京の浅草にある神社だった。
矢先稲荷(やさきいなり)神社は、台東区松が谷(や)2丁目にある。ただ、松が谷という地名は、1965(昭和40)年8月からで、それ以前は、松葉町(まつばちょう)と呼ばれていたという。円谷がこれらの写真を撮った昭和38年の時点では、矢先稲荷神社は松葉町にあったことになる。
私は今年(2012年)の8月から9月にかけて、矢先稲荷神社とその周辺を何度か訪れた。上野や浅草は普段から、私は遊びも兼ねてよく行く所だ(笑)。当神社の受付の方に話を聞いたり、近辺の文房具店の年配の方に聞いたりしたが、矢先稲荷神社を松葉神社と呼ぶことはなかったという。(右手下段の画像は、現在の矢先稲荷神社)
或いは、円谷は自ら撮影した写真にメモを書こうとして、当の神社の正しい名前を忘れてしまったか、ひょっとして知らなかったりして、松葉町にあるからということで、松葉神社と記したのかもしれない。それとも、撮影中に地元の誰かが、戯(たわむ)れかどうか、松葉神社と口にした声が、耳に残っていたというようなことがあったかどうか。
松葉という地名は当地では現在でも、松葉公園、松葉小学校、松葉町会館(矢先稲荷神社の境内に建つ)などと用いられている。
同じ祭りの大勢の参加者(年少者たちか)がこの寺の石段で休んでいる場面だ。
矢先稲荷神社では、例大祭や神輿渡御が6月中旬に行われるようだ。私自身は一度も見たことはないが、インターネットの動画などで見ると、現在の祭りの形は衣装なども含め、円谷が撮影した当時とは違っているかもしれない。動画では、少なくとも褌姿は、これも残念ながら見当たらなかった。できたら来年の六月、実際の祭りをこの目で見たいと思う。
前回の当ブログ、「1971年の円谷順一」でもふれた、三社祭や深川祭りも含め、更に祭りだけではなく、円谷本来の、モデルにした若者たちの裸の撮影など、私の所蔵しているいくつかのアルバムから、地元の大阪のみならず、東京とその近郊でも円谷は意欲的に活動していたことが分かる。
『薔薇族3号』(1971《昭和46》年11月 第二書房刊)の「幻の花火 ホモ・ポルノの写真家を悼む」の中の藤田竜(1938~2011)の文章から推測すると、おおよそ昭和30年頃から、東京の六本木にあった地下組織では、円谷撮影の8ミリ映画が上映され、アルバムが見られたという。
更に、年代的にはそれより以前、東京で刊行されていた会員雑誌『アドニス』(1952《昭和27》年~1962《昭和37》年刊)の幾つかの号に、円谷の写真が掲載されている。これらとの関わりもあって、円谷は昭和20年代の末期頃から、その頻度は分からないものの、何度となく上京していたと考えられる。円谷の30代の後半頃からということになる。そうした折に、祭りも含め東京とその近辺の男たちの裸を撮っていたのだろう。
2010年の5月に藤田竜氏に電話で聞いたのだが、交通費を節約するために、円谷は深夜バスで上京していたという。藤田氏も語っていたが、疲れて、健康を損(そこ)ねたに違いない。54歳というまだ壮年期での円谷の死の一因になったかもしれない。
ただ、「円谷順一」探訪行(その1)でも触れたが、近所(大阪府枚方《ひらかた》市)に住んでいた女性の話では、上京を前にした円谷は、浮き浮きと楽しげだったという。日頃の様々な鬱屈から解放され、男たちの裸を撮りそれらを残すという、自身の生存のほとんど総てをかけている行いの成果を、なんら隠すことなくあるがままに披露し、それらを評価してもらえることは、円谷にとって最大の喜びだったに違いない。彼はそういう54年間に渡る自身の生を丸ごと引き受け、生き抜いたのだ。
(「アドニス」「同好」「薔薇」の中の円谷順一、「円谷順一」探訪行(その1)、(その2)、(その3)、(その4)、(その5)、(その6)、「風俗奇譚」の中の円谷順一(その1)、(その2)参照)
(インターネットの威力と恩恵を今回は改めて強く感じた次第だ。矢先稲荷神社にしろ坂東報恩寺にしろ、インターネットがなければ、いずれ探し当てられたにしろ、何倍も時間その他を費やしたと思う)
(2012.10.29)
この記事へのコメント
メロ
荻崎正広
コメントありがとうございます。
このブログを書いてから、10年近く経ったんだと改めて感じました。
この祭りに参加されているとのことですね。
私は、実際のこの祭りを一度も見ないままです・・・。
機会がありましたら、「荻崎正広コレクション」にもお越しください。