(戯曲) 『悦(よろこ)びの国』(一幕四場) (連載第7回)

(連載 第7回)

 第三場

 一場、二場に比べると、一番室内らしい空間。椅子、都合(つごう)、三脚。(同じデザインで色合いの違うものが望ましい)
 塩原が椅子に腰を下ろしているところへ、岸山が入ってくる。

岸山 何年ぶりかな。相変わらず男狂いの毎日か。
塩原 元気そうだな。よその街に住んでいると聞いたが、この街に舞い戻ったのか。
岸山 (もう一脚の椅子に腰を下ろしながら)どうだい、この街のホモサウナの現状は。俺は十年以上も前のサウナしか知らない
   から。
塩原 取り立てて客足が遠のいたとは思えないが。唯、やはり、どこかみんなエイズのことが頭にあるんだろうな。以前に比べ
   ると、行動が控えめで、軀と軀の接触が浅めになっているのは確かだね。エイズだけでなく、性行為による色々な感染症
   のこともあるからね。
岸山 大部屋でもコンドームを付けて尺八しているのか。
塩原 そういう場面はあまり眼にしないけど。例えば、かつては、無論、コンドームなどなしで生(なま)でバックを掘っている
   のが、大部屋でもよくみられただろう。今はバックを掘る場面自体、めっきり減ったよ。
岸山 やはり、何といってもエイズに対する不安や恐怖が、性行動にブレーキをかけているんだな。淫乱サウナの筈なのに、
   たいして淫乱ではなくなって、禁欲サウナになってしまったのか。(笑い)
塩原 (笑い)そこまで激変したも思えないが。俺自身の場合を考えても、サウナにいる間中、必ずいつもエイズのことが頭を占
   めているという訳ではないよ。むしろ、頭から離れていることの方が多いな。だから尺八されている時など、殆(ほとん)
   ど以前と変わらず、押し寄せてくる快感の波にだけ集中しようとする。自分の方から尺八する場合には、さすがに不安に
   なる事もある位かな。
   だけど、バックを狙ってきた奴に、以前だったらこいつなら掘らせてやってもいいかなと、そのまま掘らせることもよく
   あったが、今は、そういう場面になると、軀の方が反射的に拒んでしまう。頭から離れていたエイズのことが、とっさに
   立ち戻ってくるんだな。第一、バックを狙(ねら)ってくる奴自体が以前に比べるとずっと少なくなったよ。
岸山 コンドームなしでバックはやらないというのは、エイズ時代の共通認識としてほぼ行き渡っている訳だ。
塩原 特にサウナの大部屋のような不特定多数と関わる場所ではね。だけど、自分の家なりホテルなりで一対一でやるような時
   は、俺の場合、今でも相手によっては生(なま)でバックを掘ることも、掘られることもあるけどね。他の人はどうなのか
   な。
   それでも以前に比べれば、互いの意向で、コンドームを使うことが増えているのは確かだな。
   唯、残念ながら、コンドームを使うと、いくら薄くても一枚の皮で隔てられるために、特に尺八の時がそうだけど、
   どうにも味気なく、快感も薄められ、もう一つ没頭できず、どこか冷めてしまうことが多いだろう。生でやる醍醐味は得
   られないな。
   もっとも、バックをやる時は、今はむしろコンドームを付けてやる方が、互いに安心感があって、集中しやすいという面
   もあるにはあるけれど。
岸山 まあ、ね。特に、快楽の求道(ぐどう)者塩原としては、生でないと物足りないだろうな。(笑い)
   (朗読調で)エイズ時代、男同士が築き上げる性愛はどこへ向かおうとしているのだろうか。(笑い)
   いつだったかの新聞に、エイズサーベイランス委員会の発表で、その前の二ヵ月間だったかな、同性愛者の感染者が二十
   数名という記事が載っていたけど、こういう記事はずしっと身にこたえるね。
塩原 俺なんかでも、特に読んだ当座は輪をかけて、エイズの怖さがじりじり迫ってくるよ。一方で、エイズを治療する有望な
   薬の発見などの記事や、最新の報道では、複数の治療薬を併用する効果などで、アメリカやフランスで初めてエイズによ
   る死者の数が減少したという記事を眼にすると、エイズもいずれ克服されるのだと楽観的になる。心理的にはその両者の
   間を揺れ動いている感じだな。
   それはともかく、サウナで遊んでいる時でも、勿論エイズのウィルスが肉眼で見える訳もないし、それに俺の場合は、
   HIVに感染した人やエイズ患者を身近に知っているとか、友人にいるとかいうことがないので、エイズへの恐れとかエイ
   ズそのものが、どこかまだ輪郭がぼやけていて、抽象的な感があるんだ。
岸山 その点は俺も似たり寄ったりだ。知識や情報としてはもう何年もの間、ずっと耳にし眼にしているんだけど、もう一つ真
   に迫ってこない。その分、のん気なんだ。あまり真に迫って欲しくないけど。(笑い)
塩原 さっき岸山も『男同士が築き上げる性愛は、どこへ向かおうとしているのか』と口走ったけど(笑い)、俺がこのごろよく
   考えるのは、エイズの猛威に晒されていることで、現代の同性愛者たちの性愛の質や量がもしも少しでも貧しくなってい
   るとしたら、なんとしてでもそれに立ち向かい、乗り越えなくてはならないと思うんだ。むしろエイズを発条(ばね)に
   し、性愛や快楽の質量をより豊かで熱く濃いものにできないか、そういう方向を追求することと、現実の病としてのエイ
   ズを医学的な側面も含め、克服し、エイズ後のより豊潤で自由な同性愛と同性愛者の有り様(よう)を展望することは、方
   向としては共通するのではないかと考えるんだ。何か奇麗ごとめいた見せかけだけで雲をつかむような言葉でしか語れな
   いんだが。
岸山 塩原が感じている口惜(くや)しさや、塩原の願望は伝わってはくるが。しかし、ひどく現実離れしていて、エイズの現状
   に対する認識の途轍もない無知と甘さからくる楽天的なお話という気がするよ。
   実際にエイズで苦しんでいる感染者や患者、治療に当たっている医師や研究者なら、取り分けそう捉えるんじゃないか
   な。生(なま)の尺八など少しでも危険性のある性交渉は、強い意志で行わないことで、エイズウィルスを封じ込めなけれ
   ならないと考えるだろうから。

 (付記)
エイズやHIVをめぐってさまざまに揺れ動く、1990年代後半の、登場人物たちなりの思いを読み取っていただけたら、と作者として改めて思います。
(2024.3.22)

   





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