立川アキラ 『心身を蕩(とろ)かす尻の群(む)れ』

(その3) 極(きわ)みへ行く尻
輪P.116(使う)(1).JPG
 今回は立川アキラ作品の中の、『輪唱』を主(おも)に取り上げることにした。雑誌「ジーメン」No79(2002年10月号)(ジープロジェクト(刊))に載り、私(荻崎)がこれまでに読んだ、中でも、原作、挿絵ともに立川作品の中で、一番深みと高みに到達したと思える作品だ。
画面左上段の画像は、P.116から撮った。同ページの右下に載っているが、全体に黒味が濃く、見えにくいこともあって、何度か読み眼にしたはずだが、初めのうちは、危うく、素通りしかねないほどだった。じっくり眼にすればするほど、尻にしろ、背中や腕にしろ、顔にしろ(もうひとつ分かりにくいが)、この一点の挿絵が湛(たた)える色情(しきじょう)の濃さや深さがじわじわ伝わってくる。
『輪唱』という作品全体は、全部で10ページほどで比較的短いのだが、筋の展開を筆頭に、登場人物相互の関係を含め、到底一筋縄(ひとすじなわ)ではいかず、これでもかというくらい入り乱れている。何度読んでも、その感想は変わらないものの、反面、辻褄(つじつま)がよく合い、筋が通っているとも思える不思議な風合(ふうあい)を合わせ持っている。ひょっとすると、作者(立川)自身にとっても、一番得心が行き、愛着の濃い作かもしれないとも思う・・・。
終始、父、兄、弟など、ある一家の男たちのやりたい放題の乱交模様が展開する

 左上段の画像の中の、真裸で後ろ手に縛られている人物は、P.114に「お義兄(にい)さん」という科白(せりふ)があるところから、この一家の中の娘の夫という設定だろうと思われる。子供の頃この義兄からさんざ性的に遊ばれた弟(ノブという名前)が、長じて、一段と濃厚に執拗に仕返しをする場面だ。上にも記したが、尻だけでなく、背中や腕が、更に顔(このページでは、もうひとつ分かりにくいが)も含め、尻とほぼ同じ濃度と密度で、湛(たた)えた分厚い色情を、一つも余さずじわじわ放っているところに、私はくり返し眼を吸い寄せられる。
輪P.117(使う)(2).JPG
 左二段目の画像の、左斜め下のメガネをかけた男が、上段の画像の、真裸でなぶられている当人だ。立川作品の中で、年齢は異(こと)にしていても、割りに眼にすることのある顔だ。この画像の方が、上段の画像より、顔は分かりやすい。立川作品の中で、私(荻崎)が色気を感じる顔の一つだ。
普段、メガネをかけた顔は、色気をそがれると感じることが私には割りにあるが、この男の場合は、むしろメガネが色情を更に添えているふうにも見える。メガネをしていなくても、無論、かまわない。
 横顔ながら、男くさく、渋く引き締まっている。この顔で、左上段の軀なのだから、文句の付けようがない。もしもハッテンサウナなどで、似た男に出会ったら、私は何のためらいもなく手を出すだろう。
 この画像の中の左上の男が、上段の画像で、この画像の左下の男をなぶりになぶっていた男(ノブ)だ。上にも記したが、左下の男の義理の弟になる。本作『輪唱』の最初のページ(P.113)の左上に、更に顔が大きめに載っている。最初のページの方が相応に色気を覚えるが、左下の男を見た私の眼には、あらかた醒(さ)めてしまう。

輪P.122(使う)(4).JPG 左三段目の画像が、本作品の最後のページ(P.122)になる。左二段目左下の、私の好みの男が、義理の父親のすこぶるでかい尻を容赦なく掘っている場面。前ページP.121の左下に、大きめに描かれた父顔の顔を見ると、私は取り立ててそそられない。掘っている方の私の好みの男も、この画像の顔にはさほど惹(ひ)かれない。このページでは、メガネも彼の色気には貢献していないようだ。
このページ自体の最後(この作品全体の一番最後)になる左下に、「その声を聞けばよかったんだよなぁ」という、掘っている男の(恐らく)、やや謎めいたせりふが載っている(画像には入っていないが)。いかにも、本作品の結末らしい。「その声」は、「ほぎっツ・・・」「ぎやッ」「ああッ」などの、掘られまくっている父親の発する、素直(すなお)な善がりの声を指していると私には思えるが、その推測にさほど自信がある訳ではない。ともかく、最後の最後になって輪をかけて謎めいているのは、一段と本作品らしい。
ともかく、最初から最後まで、謎(なぞ)と色情が隙間(すきま)なく敷き詰められている作品だ。

 ちなみに、本作品『輪唱』は「爆男COMICS  SMコミックアンソロジー SMCA001 新装版」(2015年6月 (株)古川書房刊)にも載っている。
同書には、『脱獄囚』(作画 立川アキラ  原作 亀谷隆児)という作品も載っている。尻を始め男たちの裸がふんだんに載っているものの、正直、私はさほど惹かれない。量感や質感、加えて情感がもう一つ足りず、どこかしら淡々と流れていると感じられる。『輪唱』を読んだ眼だからという点もあるかもしれない・・・。
(なお、『脱獄囚』の原作の亀谷隆児は、前回(その2)で取り上げた、『鬼子母神』の作者だ)


(付記)
なかなかてこずりましたが、(その3)を載せました。
手こずった一因には、取り上げた作品の作柄や風合いもあるような気がします。
お読みいただき、感想などお寄せいただけたら幸いです。
(2024.12.22)





















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