立川アキラ 『心身を蕩(とろ)かす尻の群(む)れ』

(その5)(最終回)  「淫乱浴場記」の中の熟した尻(後半)

No.77 P.121.JPG
今回が、立川(たちかわ)アキラ作品の最終回になる。
『淫乱浴場記』(あすかともゆき原作 立川アキラ挿絵)の第七話「社員旅行で絶倫社長に欲情す」(雑誌「ジーメン」No.77 2002年8月号)((有)ジープロジェクト刊)と、最終話(第十一話)「スーパー銭湯で色狂いの男たちに欲情す」(No.104  2004年11月号)(同)を取り上げる。
第七話は、主人公の健太(25才)と兄貴分の大介(30才)が勤務している下町の工務店の、社長(40代後半)を含め社員総勢五人が、伊豆半島にあるH温泉に、慰安旅行に行った時の出来事が描かれている。
中でも、健太と社長の初めての交合(大介公認のもと)が中心だ。
(健太は、前回(その4)で取り上げた、自衛官との交合が大介に知られ、一カ月以上も禁欲生活を強いられているという設定だ)
社長は、「Lサイズの浴衣が窮屈に見える巨漢」で、「頑丈そうな毛深い太腿(ふともも)」の持ち主だ。(ともに、P.114)。
「よし。それじゃ、湯船の縁に両手を着いてごらん。足を開いて尻を上げるんだ」(P.120)
「そうか、早く入れてほしいのか。大介君の言うように君は根っからの色狂いなんだな」(同)
「色っぽい尻だ。たっぷりとぶち込ませてもらうことにしよう」(同)
「極太の性器が肛門を最大限に割り裂きながら直腸の奥へ突進する。エラの張った亀頭が猛烈な力で前立腺にぶち当たる。快感を通り越した衝撃に首筋が硬直する。・・・」(P.121)
  左上段の画像は、これらが関わった場面を描いている。(湯船の縁はこの画像では切れているが)。
健太の尻を掘っている真っ只中(ただなか)の社長の、厚めの筋肉が締まりに締まった尻たぶと太股(ふともも)が見ものだ。一方、当画像ではもうひとつ分かりにくいが、前回(その4)の三段目に載せた若い健太の尻は、この社長の尻に一回り輪をかけて大振りだった。(両者の構図の違いもあるだろうが)
壮年の社長の渋く頑健な尻と太股、一方、若い健太のみずみずしく締まったそれら。二十年程の年齢の差もまず間違いなく考慮され、舌を巻くくらい見事に両者は描き分けられている、と私(荻崎)には思える。
私は普段、この社長のような大柄な男には色情(しきじょう)を覚えないことが多いが、尻だけ味わっていいと仮に言われたら、一も二もなく吸い付くだろう。そんな旨(うま)い話や場面があればだが(!)。

No.104 P.315.JPG
 左二段目の画像は、最終話(第11話)「スーパー銭湯で色狂いの男たちに欲情す」(「ジーメン」No.104 2004年11月刊)の、P.315から撮った。
最終話は、「淫乱浴場記」の最後を締めくくるのにふさわしく、郊外のスーパー銭湯を舞台に、餌食(えじき)になった健太と、何人もの男たちとの壮絶とも言えそうな交合が、次から次へと繰り広げられる。
実は、兄貴の大介が、健太には知らせることなく、出会い系サイトに、「・・・見つけたら思いきりいじめてやってください」(P.311)と書き込でいたことがきっかけだった。
背中に般若の刺青を入れた四十半ばに見える男と、二十代の体育会系短髪野郎に二本差しで尻を掘られながら、更に、三十代半ばの大学教授風な男の性器をしゃぶる。
それだけでは到底終わらず、大介との交合も含め、居合わせた何人もの男たちと次から次と交わり続ける・・・。
「兄貴に犯され続けた長い年月の果てに、俺の肛門は蜜(みつ)がしたたる果実のように完熟した。・・・」(P.314)
その完熟した尻や口に男たちが群がり酔いしれる。
兄貴の大介は、上記の社長の時と同様、自分以外の男たちと、自分にひたすら従順な健太のあるがままの交合の姿を見ることで、自身の健太への欲情が一段と味わいを濃くし、深まることが分かっている。健太もそうした大介の、一筋縄では行かない欲望の有り様を疾(と)うに見抜いている。
私(荻崎)は、左二段目画像の中の、取り分け健太の見開かれた両の眼に引き付けられる。
当画像では、眼の細部までは分かりにくいが、幾人もの男たちによって総身にもたらされた歓楽の全部を、一滴も漏らさず味わいつくしている健太自身のあるがままが、この両眼にそっくり表れている。そればかりか、歓楽という乗り物に身を委(ゆだ)ね、この世の時空の果ての果てまで行き着き、再びここに戻ってきた、そんな眼のようにも思えてくる・・・。無論、半(なか)ばは私の妄想だが。ともかく、これほどまでの眼を、マンガや絵画など描かれたものにしろ、生身(なまみ)の人間の眼にしろ、見た記憶が私に果たしてあったかどうか・・・。仮に見たことがあったとしても、すぐには思い出せない、としか今の私には言いようがない。
 健太は、兄貴分の大介からにしろ、その他、交合した多くの男たちからにしろ、一見、彼らから言われ命じられるままに自身の軀を差し出し、彼らの欲望のままに、ひたすら素直に従っている風でいて、その実、自身の底知れない色欲(しきよく)や歓楽(かんらく)の充足のために、必要不可欠となる彼らの生身(なまみ)を、思う存分使いまくっている・・・。しかもそのことに無自覚ではなく、二十代半ばの年齢にして、そうした自身の心身のあるがままの姿がよく見え、それを少しも捻(ね)じ曲げることなく、率直に受け入れ、どこまでも担い続けようとしている・・・。そう私には思える。やや強引な言い回しながら、上記の画像の中の、見開かれた健太の一抹(いちまつ)哀しみをにじませた両の眼が、そう告(つ)げている・・・。
 因(ちな)みに、この画像では、上段画像同様、健太の尻の形はもう一つよく分からない。

 「D.D.T」と題された立川アキラ作品(絵と物語ともに)が、「ジーメン」誌(当104号も含め)や「爆弾」誌(前回の(その4)の最初の方で少し触れた)に、毎号ではないが、掲載されている。今回(その1)から(その5)で言及した立川作品とはがらりと異なり、物語も画風も、何かしら時空には一切捉われないといった、自由自在な感が伝わってくる。
ただ私(荻崎)は、絵にも物語自体にも、感興を覚えない。


(付記)
全部で五回に渡って、立川アキラ作品を取り上げましたが、今回が最終回です。
最後までたどり着くことができ、とりあえずほっとしています。
いつか、まだ読んでいない立川作品を眼にし、感興を覚えたら、何かの形で、再度取り上げることがあるかもしれません。
全五回のどの回でもいいですが、感想などお寄せいただき、そうか、そういう読み方もできるんだというふうなことに出合えたら、幸いです。
(2025.2.22)



















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