(第4回作品) 肌身(はだみ)の記憶へ、その向こうへ
桐岡(きりおか)は歩いて行った。十字路になっていた。その辺りは葉を落としていない木が多かった。直前まで右に曲がるつもりで、左に入った。ありふれたことだった。思いがけない展開になるかなと、そのたびに幾らかなりと懲(こ)りずに思ったりするものの、何があるのでもなかった。
道の左側のほうに建物が多く、右側には木々が多かった。桐岡は左寄りを歩いた。そのほうが、絡みたくなる男を眼にできる度合いが、幾(いく)らかなりと高そうに思えた。桐岡は歩調を落とした。右側ほどではないものの、ていねいに眼をやると、左手の家々にも、植物が少ないわけではなかった。
二階建ての青い建物があった。居住者がいるのかどうか、静まっていた。植物は少ないながら、庭もあった。二階で、人影が動いた。窓が小さめに開いた。
「何十年も昔、俺の魔羅(まら)にむしゃぶりついた奴(やつ)だな・・・」
男が声を投げ落とした。桐岡は立ち止まり、真っ直ぐ眼を向けた。
記憶がうっすら動きかけたものの、しっかりした像には結び付かなかった。
「部屋の中で、それとも外で・・・」と桐岡は言葉を投げ上げた。
「林の中。水も流れていた・・・」一時(いっとき)間(ま)を置いて、男の声が落ちた。
長い間には、多くの男たちと木々が茂った所でも交合していた。確かな記憶とは結び付かなかったものの、今は男の記憶のほうに自身を預けることにした。投げかけている男の目元に、遠目ながら、静かで哀しげな潤(うるお)いがあった。年は、八十を越えた桐岡より、一回り以上、下に見えた。
「入れ」と男は短く言った。一呼吸置いて、「あの時より何倍もしゃぶらせてやる。尻(けつ)の穴も、奥までべろべろ舐めさせてやる・・・二階だ・・・一階のドアは空いている」と付け加えた。桐岡は頷(うなづ)いて、入り口に向かった。冷えた風が吹き抜けた。
一階のドアを開けると、木の階段があった。上がると部屋の前に出た。
「入れ」と内側から声が流れた。ドアを開けると、男が真裸で正面を向いて立っていた。取り立てて大振りではなかったが、男根が形よく反り返っていた。桐岡はドアを閉めるや、一発で深々と頬張(ほおば)り、舌を絡(から)めた。
「尺八に一段と磨(みが)きがかかったな・・・」男の声が真上から落ちた。
「おまえはあの頃も、尺八の名手だったからな・・・」
男の言葉に煽(あお)られて、桐岡の喉元が男の亀頭に更にじわりと迫った。舌全体がとろとろ巻き付き、男の記憶が確かだとすれば、何十年か離れていた男根と口腔と舌が、一発で再(ふたた)び蕩(とろ)けあった。
「よし、尻(けつ)の穴に潜(もぐ)り込め。おまえの今の尻(けつ)舐めの技(わざ)を全部見せろ・・・」
男はそう言うと、軀の向きを変え、桐岡の口の前に尻を突き出した。桐岡の記憶からは消えていたが、均質な肉が固めに幅広に盛り上がる一方で、同じ肉がそのまま内側へしっとり張りつめている、と見えた。恐らく、当時から、桐岡の好みのこういう最上質に近い尻だったから、男の記憶が確かだとすれば、何十年も昔、桐岡は一心にむしゃぶり付いたのだろう。
高齢に差し掛かろうとしている今も、普段、男は体操などで、相応に軀を鍛(きた)えていると見えた。その点は、桐岡も同じだった。
桐岡は、突き出された尻の両たぶをていねいに開き、中芯に舌をぴたり押し当てた。男の言葉どおりだとすれば、一度は交合したものの、その後は縁がないままに流れた何十年かの時が、つながった二人の軀を改めて静かに行き来するふうだった。
男は向きを変え、部屋に置かれたひじ掛けの付いた木の椅子に腰を沈めると、「おまえも全部脱げ」と言い、脱ぎ終えた桐岡が男の前で四つ這いになると、右足を桐岡の口の前に突き出し、「足から舐めろ」と命じた。桐岡は最初は男の右足を、続いて左足を、それぞれ両手で受けると、指を一本一本口に収め、舌を絡め、足裏に舌をじっくり這わせた。
「よし。もう一回、尻(けつ)の穴。その次に尺八・・・」
男は一段と静かな口調で言い、椅子の上で尻を迫(せ)り出し、両の足をぐいと開いた。桐岡は両手を男の両の尻たぶに置くと、尻を更に開き、突き出した舌を、さっきより一段と濃(こま)やかに尻の中芯に押し当てた。
「この方が、じっくり味わえるだろう。何十年も有り付けなかった俺の尻(けつ)の穴の肉を、奥まで思う存分舐めまくれ。おまえの中を俺の尻(けつ)の穴の肉でいっぱいにしろ・・・」男は口にしている事柄とは裏腹に、静かな声で淡々と言った。「はい」という言葉を、舌をとおして男の尻の一番奥まった肉の中に染み込ませた桐岡の眼が、じっとり涙でにじんだ。
男の手は抱(かか)えていた自身の足から離れ、足も尻も桐岡に全部預けていた。桐岡の舌と男の尻の内側の肉が、すっかり睦(むつ)み合って、どこへなのか一緒にたどり着こうとしているふうだった。そこがどこなのか判然としないながらも、行くところまで行けばよかった。この尻とこの舌なら、どこへでも行けそうな気がした。ほの暗いながら行き止まりではなく、行けば行くほどもっと奥まで誘われていた。
「こんな舌があったのか・・・引き返したほうがいいのか・・・俺をどこへ連れて行くんだ・・・」男の口から言葉が切れ切れに伝い落ちた。「今日は尻(けつ)はここまででいい・・・尺八に変えろ・・・」男はうわごとめいて口にした。
桐岡の舌と口が男の尻の芯から静かに離れ、初(しょ)っぱなから反り返り続け、猛々(たけだけ)しさと潤(うるお)いの両面が、ともに極みまで行き渡った男根を深々と頬張(ほおば)った。
「この舌と口は、一度か二度にした方がいいのか・・・明日(あした)から他(ほか)の男にやらせても、味気なく、物足りなくなってしまう・・・おまえも俺も、先のことは分からない・・・」男の口から流れ出る一語一語に、桐岡の口と舌と唾液の旨味(うまみ)がしっとり絡(から)みついていた。
「おまえは日ごとこの街のどこかを迷い歩く・・・俺も時折どこへともなく迷い出る・・・」
男は一時(いっとき)眠ったようにも見えた。桐岡の口元と舌にもふっと眠気めいたものが流れた。
「元気そうだが、おまえは俺以上に高齢だ・・・叶(かな)うかな・・・今よりもっと年を取ったおまえの口と舌が俺をどこへ連れて行くか・・・その日は来るのか、来ないか・・・」いったん目覚めた男の声に、一段と濃い眠気が染み込んでいった。男はそのまま眠ったようだった。
桐岡は男から離れ、静かに部屋を出た。
もう一度ここに来ることがあるかどうか、ひんやりした風が続けて吹き抜けると、さっきまでのことが、あれはいつのことだったか、どこでのことだったかと、自身に改めて聞いてみるふうな色合いがにじみ出るのには慣れていた。
充分すぎるくらい高齢になったからだ、と言い逃れはできないさ、おまえは昔からそうだったという声のほうが、芯が通っていると感じられた。歩けるうちは、どこへでも、どこまででも歩けばいい、という聞き慣れた声が聞こえてくるのは心強かった。歩いて行っても、どこまで行っても、誰が待っているわけでもないことも、とうに分かっていた。
さっきの男は、二人があの部屋にいたどこかの時点で、桐岡が初めて会った男だと気づいていたのではと、歩きながら桐岡は思った。口にはしなかったものの、そう感じ取りながら、男は交合を続けたのではと、桐岡は考えた。自分にとっても、男にとっても、どっちでも構わないことさ、よくあることだ、と桐岡は意外なくらいあっさり受け入れた。
一段とひんやりした風が吹き抜けた。うっすら雪が混じっていた。冷え冷えとした中を歩き続けるのは、いくつもの思いが一度に静まり心地よかった。十年先の中を、今、歩いているとも思えた。十年前の中を歩いている、そう思うことも珍しくはなかった。これからも、思う所へ、どこへでも歩ける、と桐岡はまた思った。 (了)
(付記)
今回は、主(おも)に部屋の中という設定から、二人の交合の場面が多くなりました。
そうした点では、第一回作品『身(み)も時も蕩(とろ)けだす』に似ているようです。語り手(主人公)の桐岡と、交合する相手の男の状況(記憶など)が逆転した感がありますが・・・。
人は、最期(さいご)に、交合の果ての果てで、どこへたどり着き、どこへ消えていくのか・・・と改めて思ったりします。
(荻崎)
(2025.8.18)
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