荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

(第7回作品) 若い男が庭の椅子(いす)に座っていた

 大気が少しずつひんやりしてきたようだった。もう少し先まで歩こうと桐岡(きりおか)は考えた。誰かが待ち受けているようでもなく、眼を止めるような相手とふっとすれ違いそうな感もなかったものの、歩くだけならその方が楽だった。時折、男たちとすれ違った。誰も一人で歩いていた。
「今日は俺で終わりにしろ・・・」声が流れてきた。桐岡は声の方に顔を向けた。少し先の、右手の薄茶色の家の庭の椅子(いす)に、半ズボンを穿(は)いた男が座っていた。声の感じよりずっと若く見えた。三十代か、もしかすると二十代かもしれなかった。何か飲み物を手にしていた。
「俺では年が離れすぎていないかな・・・」桐岡はその家の前まで来て言った。
「たまには爺(じい)さんも味があるさ。やってやりまくってその年になったんだからな・・・」
「八十を越えて、無駄に年老いただけだが・・・」桐岡は若い男の眼を真直ぐとらえて、言葉を送った。
「無駄だったかどうか、舐めさせた後で、俺が判定してやる。ここで使う・・・。通行人に見られたほうがいいんだろう。最初に尺八、次に尻(けつ)の穴。俺が、よしと言ったら終わりだ・・・。そこから入ってこい」
 男はどこか沈んだ口調で言葉を投げた。この日だけでも何人かとやった後なのかもしれなかった。
自身、やり終えて前の道を歩い行く姿が頭をよぎる中で、桐岡は男の家の庭に入った。とは言え、眼の前の若い男との交合に初めからさほど惹(ひ)かれないということではなかった。それとは別の事柄だった。同じようなことは桐岡には珍しくはなかった。他(ほか)の男たちも似たようなものか、それとも丸きり異なるのか、そこから先を取り立てて考えたことがあるのかないのか・・・、頭に留(と)めるのは、少なくとも、今はそこまでにした。
「俺の下半身だけ脱がせてからやれ。爺さんも下だけ全部脱げ」
男の口調に歯切れよさが増していた。さっきも感じたが、この若い男の口から流れ出る、「爺(じい)さん」という言葉の発声や語調に、それが何に由来するのか、いつまでも耳に残りそうな艶(つや)と味わいがあった。
 桐岡は庭に入り、男に近づくと、男の半ズボンを脱ぎ取り、近くに置かれたもう一つの椅子に掛けた。男は下着は穿(は)いていなかった。桐岡も自身の下半身に穿(は)いていたものを全部脱ぎ、同じ椅子の空いている位置に掛けると、男の前にしゃがみ、男の眼をまっすぐ見上げた。
「尺八」と男は短く言った。桐岡は、肉が厚めに張り詰めた男の尻に両手を回しながら、さすがに若く弾(はじ)くように反り返った男根を、一気に深々と頬張(ほおば)った。底深い声を発しながら、男は両足を桐岡の両の肩口に投げ出した。
「これが本物の尺八か・・・。爺さん、その年まで無駄には遊んでこなかったな・・・」
男の言葉を全部吸い取りながら時間が流れた。通りを行き来する人々が、一人、また一人、二人の交合に眼を投げたりしたが、立ち止まるでもなく、誰もそのまま通り過ぎていった。
「よし。次は尻(けつ)の穴」
そう言うと、男は向きを変え、椅子の背に両手を置き、椅子に据えた尻をぐいと突き出した。男の尻の、張りと四角ぽい量感のある形が、一層際立った。男はこの恰好の自身の尻が、男たちを一番夢中にさせることがよく分かっていると見えた。
「よし、というまで舐めてもいいぞ、爺さん・・・一番奥まで潜(もぐ)り込んで、舐め続けてもいい・・・」
「はい」と言うやいなや、桐岡の口唇と舌がその中心にぴたっと吸い付き、舌先は奥へほんの少しでも深みへと潜(もぐ)り込んだ。今日ではない別の日、他(ほか)の男たちに同じことをしている自身の姿が茫(ぼう)と浮かび上がり、今、別の男と交合している最中のように、それも一人や二人ではなく、何人もの男たちが立ち続けに現れたり、消えたりした。それでいて、眼の前の男の尻が薄れることはなく、逆にそれらに煽(あお)られることも含め、一段とのこの弾(はじ)き返すように締まった尻に吸い取られ、ひたすら没入した。
 桐岡にはよくあることだった。何人もの男たちの尻が重層することで、一層、真っ最中のこの若い男の尻の深い味わいが引き出される感だった。
「爺さん、今までに遊んだ他(ほか)の男の尻が浮かんでいるな。区別がつかなくなっているな。いいことさ。そいつらの尻に助けられて、爺さんの舌の味がぐっと濃くなっている。そうやって、だんだん俺の専用の舌になっていく・・・」
若い男自身、これまでに舐めさせた何人もの男たちの舌と思いを重ねている感が伝わってきた。そのために、むしろ一層この男の若さが際立った。
「よし、と言うまで、舌先を一番奥に押し付けたままでいろ・・・」
どこか遠くからの声のように桐岡には届いた。押し当てたまま、何倍かの時が一度に流れた。逆に何十年かの過去の時が改めて呼び戻されたと感じる脇で、これから何日か先、どこかの別の通りを歩いている自身が濃く現れたりもした。

 桐岡はまた通りを歩いていた。
「よし、終わりだ、帰れ・・・」というさっきの若い男の声が何度めなのか心地よく流れた。「俺の尻(けつ)の奥がどうしても忘れられなくなったら、また来てもいい・・・」と続いた。歩いていれば、八十代の高齢になっても、いつも何かへどこかへたどり着いた。歩くと、どこかに入っていける・・・。
 日が陰っていた。風が強めに流れた。雨が降るかもしれなかった。歩けるのが心地良かった。(了)

(付記)
今回は、三十代(もしかすると二十代か)と八十代という年齢のかけ離れた男たちの交合になりました。
鈍感なのかどうか、これも一興かと作者(荻崎)はさほど気に留めていないようです・・・。
お読みいただけたら幸いです。
(2025.11.19)






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