荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

(第10回作品)  茶色と灰色の家  桐岡(きりおか)はまた歩いて行った。これというほどの疲れはなかった。いつもと同じようにも、心なし違うように思うのも、いつものことだった。どっちの思いにも相応に味わいがあった。「よく遊んだ・・・そう顔に書いてある・・・」すれ違った、八十代の桐岡ほどではないが相当高齢に見える男が、桐岡と束(つか)の間(ま)視線を合わせてそう言うと、立ち止まるでもなく去っていった。初めて見るようにも、どこかで一度は会ったことのある男のようにも思えた。  今日はまだこれから、二、三人と遊びそうな気がした。現にどうなるかはともかく、歩いている最中は尚(なお)のこと、そう思うのはいつものことだった。風が少し強まり、やや寒くなった。外より、家の中で交合するのに適しているな、と思いながら桐岡はさっきまでとは別の道を歩いて行った。 右手に茶色と灰色がほぼ同じ程合いの家が建っていた。一階のガラス窓の向こうに男が立っていた。眼が合う少し前から、桐岡を見ていたようだった。顔がもうひとつ分かりにくかったものの、眼が合っても男の表情は動かなかった。窓が開いた。「風が出て、冷えてきた。無理するな、入って休んでいけ・・・」男は表情を変えることはなかったが、風に吹き流されないように声を桐岡に届けた。桐岡は改めて立ち止まり、男の顔を真っすぐ眼に止めた。見覚えがあるとは思わなかったが、ふっと引き止め引き入れる深さが伝わってくる顔立ちだった。五十代くらいに見えた。「入口は空いている」男はそう言い窓際から離れた。庭…

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荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

(第9回作品) 男は言葉を残して去った   桐岡(きりおか)は歩いて行った。まだ帰らなくてもよかった。これからどうするかを選べる時間があるのは、いつであれいいことだった。斜め右手に入る道を歩いた。細めの道だった。腰を下ろせる、大きめの木の台がいくつか置かれていた。様々な樹木が何本か集まっていた。「まだやりたいのか・・・」台に腰を下ろしていた男が、独り言めいて、言葉を投げた。高齢だが、八十代の桐岡より、一回り、二回り若く見えた。どちらかといえば小柄だった。「今日は何人と遊んだのかな・・・」と、桐岡は返した。「一人だけさ、昼前に・・・」男は短く言った。「それならまだ三、四人はやれるね・・・」桐岡は男に二、三歩近づいて言った。「一人で充分だ。おまえなら三、四人分になりそうだ・・・」そう言うと、男は座ったまま両足をぐいと開いた。桐岡は真っ直ぐ男の腰のあたりに近づき、男のズボンの前を開くと、のけ反りかけている男根を深々と口中に収めた。「俺の言うことなら何でもする、と一目で分かった・・・。もしかすると、昔、会ったことがあるか・・・」「会ったような気もする、初めてのような気もする・・・」男根を更にじわじわ喉元(のどもと)へ届かせながら、言葉の輪郭は蕩(とろ)けていたものの、桐岡は言った。「上も下も全部脱がせろ・・・おまえもそうしろ・・・」と男は付け加えた。何百、何千の男たちと交合を繰り返し、似たり寄ったりの言葉に、飽きることなく、相手によるそのつどの細やかな差異も加わり、桐岡はそのたびに煽(あお)られた。 桐…

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 荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

 (第8回作品) 男は、塀(へい)に両手を付いた   桐岡(きりおか)はまた歩いて行った。道は広めになった。さっきはあれから、ベンチの上で向こう向きで思い切り突き出された男の尻を、奥の更に奥まで舐めまくった。「この形の俺の尻(けつ)が・・・一番旨(うま)いのか・・・」三十六歳だと言った男のその声は、男の尻が直(じか)に発している風(ふう)にも流れた。 それから、男はベンチに座ったまま、かなり長い間、茫(ぼう)っとしていた。「生きている間に、またどこかで会うかもしれないな・・・俺はもう八十を越えているけれど・・・」そう伝えて、桐岡はその男と別れた。記憶に残っているその男の声の方が、直(じか)に聞いた時の声より、濃く伝わってくると桐岡は思った。 水の流れる音がした。その音は、たまにしか聞かないようにも、頻繁(ひんぱん)に耳にするようにも思えた。改めて水の音を耳に入れると、この先まだ十年はおろか、二十年も、ひょっとすると三十年先まで男たちと交合を続けられそうに感じられた。度を越えた妄念が、ひときわ冴(さ)え冴えと桐岡を包んだ。 桐岡は歩いて行った。まだ陽(ひ)はかなり高い位置から射していた。さほど数が多いというほどではなかったが、様々な年齢の男たちが、歩いたり、ベンチに腰を下ろしたり、家々の庭やベランダに、座ったり立ったりしていた。裸に近い男たちもそう珍しくはなかった。見慣れた光景だった。 「年を取るほど切りもなくやりたくなる、顔と眼がそう言っている・・・」道の右手の木製の塀(へい)の近くに立っていた…

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