荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

(第2回作品) 風が吹く裸  前方の右側に、さほど広いとは見えなかったが、木々が茂る公園風な場所が見えた。男は立ち止まることなく、その公園の中に入っていった。来慣れている場所にも見えた。男は四十代程(ほど)だった。 桐岡(きりおか)は一時(いっとき)立ち止まってから、男の歩いて行く方向に少し歩度を落として進んだ。まばらながら人影があった。右手の、木々が一段と濃く茂っている辺りに男は入っていった。細い道が通じている先に、狭いが三角形に見える空き地があり、木のベンチが二脚置かれていた。男は左側に置かれたベンチに腰を下ろした。辺りに人影はなかった。「俺をしゃぶりたくて、後(あと)を付けて来たんだろう・・・」取り立てて桐岡の方に眼を向ける風でもなく男は言った。咎(とが)める口調ではなく、声も小さめだった。桐岡はすぐさま男に近づくと、男の前にしゃがみ、両手を男の腰に回し、口をズボン越しに男の男根の位置に押し当ててから、男の眼を真っ直ぐ見上げた。「爺(じい)さんの割には元気だな・・・」男は桐岡の眼の中に言葉を落とした。桐岡は男のベルトを緩めてズボンを膝までずり下げ、男根と尻が剝(む)き出しになる恰好(かっこう)にしてから、両手を男の両の尻たぶに回し、男根を深々と頬(ほお)張った。男の尻に直(じか)に手を置きながら、最初の尺八をしたかった。何日か前、後(あと)を付けて入った別の男の部屋で交合した時の最初の方の映像と、今の眼前の情景が自然に重なった。口や手に当たる肉の弾(はじ)き返すような感触に通じるものがあっ…

続きを読む

荻崎正広短編小説集 『果ての、始まりへ』

 (第1回作品) 身(み)も時も蕩(とろ)けだす  桐岡(きりおか)は、また街を歩いていた。夕方が近いな、と思った。この日、いつも以上に何人もの男たちと絡(から)み合ったようにも、誰の肌身にも有り付くことなく、ずっと一人で歩いていたとも思えた。とは言え、そう思うことはこの日に限らず、よくあることだった。 どうであれ、見放すことなくこの身に寄り添っていけばいい、そうすれば、いつか、えっ、こんな男が同じ街にいて、俺を受け入れようとしているという場面を前にすることができる・・・。今までのように過ごせばいい、自分を見離しさえしなければ、そこへ行き付く。 あっ、以前、入ったことがある家ではないか、と桐岡の足が止まりかけた。周辺にも見覚えがある気がした。入ったのは何十年も前とも、まだ十年は経っていないとも、確かではなかった。足を止め、じっくり見廻した。 屋根が濃い青、ドアは焦げ茶色の、二階建ての家だった。庭には丈(たけ)の高い植物が多かった。ただ、年齢や顔形など中にどんな男がいたのか、その男と何を行ったか、思い浮かばなかった。やったことは他(ほか)の男たちの場合と大して違いはないさ、思い浮かべられなくても仕方がないよ、という声の行く先を追うようにして、桐岡は二階の窓に眼をやった。 いつの間(ま)にベランダに出たのか、手すりに両手を付いて立っている男と眼が合った。ただ、相手の顔が分かっても、記憶がくっきり浮かび出ることはなかった。「そんなに、俺と、やりたいのか・・・昔一度、やったことがある、などと、言いたそう…

続きを読む

開館20周年記念に

 (私設美術館)「荻崎正広コレクション ゲイ・アートの家」は、この2025年4月17日(木)で、開館20周年になります。これを記念(!)して、私(荻崎)が所持している、円谷順一(えんや・じゅんいち)(「大阪のおっちゃん」と呼ばれた)(1971年、54歳で死去)が所有しいてたと思われるスライド映写機を用いて、円谷が作成したと推測されるスライドを上映すことにしました。左の画像は、その映写機と、スライドです。(スライドは、とりあえず5枚載せました)上映を希望される方は、来館されたときに、お伝えください。(しばらくの間、上映しようと考えています)部屋の襖(ふすま)を用い、その上に白い画用紙を画鋲(がびょう)でとめたものをスクリーン代わりにするという、応急的で安易なやりかたですが(!)、ご容赦ください。希望される方には、短時間ですが、何枚か上映します。円谷写真の理解の一助になればと考えています。 (この記事は、最初の心づもりでは、私のホームページの最初に、文章だけ(画像なしで)載せようと考えていたのですが、ホームページの更新がなぜかできないことになったため、更新が可能な当ブログに載せることにしました。画像があった方が親切で分かりやすいことは確かですね。それはともかく、早く、ホームページの更新が可能になればいいのですが・・・)(2025.4.12) 《追記》私のホームページ、更新できるようになりました。ほっとしています。(2025.5.11)

続きを読む